ドメイン・ブラハム・ワイナリーは、南アフリカ・ケープタウン郊外のパール地区にあります。ここから2001年に、「南アフリカワイン業界の21世紀の新しい光」と賞賛されたワインが誕生したのです。
ワインを造っているのは、ヒーシー・ラテガン女史。ヒーシーとは「リトル・スピリッツ(小さな魂)」を意味します。
彼女は白人ですが、家庭は大変貧しく、欲しい物も手に入らない状況の中で、11歳からアルバイトで家計を支え、大学まで全て奨学金で学び、優秀な女性弁護士として活躍していました。
しかし彼女はそれだけでは留まりませんでした。自然が大好きな彼女は、いつか自分でワインを造りたいという想いを持っていました。そして1989年、彼女は遂にケープタウンでの都会生活を捨て、郊外のパールに土地を買い、家を建て、ブドウの苗木を植えたのです。御主人のブラハムさんも、高等裁判所裁判官を退職し、ヒーシーさんのために上質なブドウの栽培に取り組みました。しかし、御主人以外の人の中には「弁護士をしていれば楽に生活していけるし、素人の女性がワインなんて造れないわ。」と笑う人もいました。
しかし2001年10月、遂に「ブラハム・シラーズ1999」が誕生し、いきなりパール地区のシラーズ大会で満場一致の金賞、同国最大のワイン大会「ヴェリタス大会」で銀賞を獲得し、たちまち国内外のホテル・レストラン・ワインショップから注文が殺到し、マスコミに取り上げられました。彼女の周囲の人達の態度もすっかり変ったのは言うまでもありません。
そして翌年2002年には、「ブラハム・シラーズ2000」が2年目にしてヴェリタス大会で金賞を受賞。さらにカベルネ・ソーヴィニョン、ピノタージュ、シュナン・ブランをリリースし、これらの品種も世界各地で高い評価を受けました。2003年には「南アフリカ最優秀ワイン醸造家」に選ばれ、更に2005年に、初ヴィンテージの「シラーズ1999」が、南アフリカ最大のネダバーグオークションに選出されるという快挙を成し遂げました。
現在彼女は、パール地区のワイン組合の理事長にも就任しています。彼女は、弁護士でもワイン造りでも、「女性最年少、南ア史上初の女性○○○」など、次々に歴史上の記録を塗り替えてきました。そして2011年5月には、ドラケンステイン市長選(パール・ウェリントン地区)に当選し、新市長に就任しました。さらに2018年3月現在ワイン銘醸地の中心ステレンボッシュ市の市長を務めています。市長業が多忙のため実際のワイナリーの運営は息子さんにまかせていますが、全ては彼女の指示に従って行われます。市長業もワイナリー運営も手を抜かないまさにスーパーウーマンと言えるヒーシー・ラテガン女史です。今では彼女のワインは、世界の8ヶ国に輸出されていますが、どこでも手に入らない程の大人気の商品となっています。
彼女は自分のワインを通して、「たとえ貧しくても、女性でも、努力すれば夢は実現出来ます。あきらめずに自分の夢に向かって努力してほしい」ということをいつも伝えています。