大和葡萄酒の歴史
大和葡萄酒の創業家である萩原家は江戸時代初期より山梨市落合にて代々油問屋(約250年間)を営んでいました。当時親戚のつくり酒屋と大地主である萩原3家で庄屋としての役割を兼務しており、代々右八を襲名していました。明治の文明開化と共に、明かりを灯す油は電気に替わり家業の油問屋は廃業を余儀なくされ、現在の山梨市下栗原に移転しました。
明治の時代を生き抜いた萩原保太郎(13代目最後の右八)は製材業・穀物卸・ぶどう園・都内不動産貸付・酒屋などを家業に山梨市下栗原の栗原葡萄酒組合(現在の勝沼フジッコワイナリー株式会社の設立に寄与してきました。当社の創業は、保太郎が勝沼に基盤を移した時大正2年と致しています。その後代は啓太郎に替わり、第十一葡萄酒組合の設立に寄与してまいりました。
昭和28年第十一葡萄酒組合は大和葡萄酒株式会社に法人化致しました。昨今では、1990年に長野工場開設、1995年にビール事業、そして2001年より当社骨子になるワインブランド構築を行っています。現在の社長・保樹は4代目です。
日本古来の品種を原料に日本独自のワイン造りが大和葡萄酒の理念!
世界品質のワインを醸造するためにまず重要なのが産地形成です。ワインとは個性ですので、例えば世界で広く栽培されているメルロー種を醸造原料としてワインを造り続けても甲州が 世界的なワインの産地として認められる事はありません。つまり甲州の個性を持った、日本にしか出せない味を目指さなければ甲州で醸造する意味がありません。勝沼が日本におけるブドウの発祥の地であることはよく知られています。その日本最古の品種とは甲州種であり、さらに甲州種のなかでも日本最古の樹であろうと言われているのが、大和葡萄酒の管理する指定文化財「甲龍」(樹齢約130年)です。大和葡萄酒ではその「甲龍」と、同様の指定文化財の三森甲州(樹齢約100年)より枝分けした甲州種のブドウなどを使用した日本独自のワインを醸造しています。その他、竜眼(樹齢90年)、甲州三尺、紫葡萄など、日本の古来品種のブドウからも、ワインを醸造しています。
甲州種とは?
ワイン醸造に適したヴィティス・ヴィニフェラ系のブドウです。
甲州(こうしゅう)は、勝沼を中心に山梨県で栽培され既に1280年の歴史をもつ日本固有の品種で、甲州葡萄とも呼ばれています。生食用または白ワイン醸造用の兼用品種として栽培されていますが、実際は日本に多いアメリカ系の食用向きのブドウ【ヴィティス・ラブルスカ】ではなく、ヨーロッパ系のワイン醸造に適したブドウ【ヴィティス・ヴィニフェラ】であることが明らかにされています。房はやや長く、果実は中くらい、藤色または明るいえび茶色で、「灰色ぶどう」と呼ばれる色合いです。甘みはありますが、香りは比較的あっさりしていて、酸味も弱く、癖のないのがこの品種の特徴です。江戸時代以前は生食専用でしたが、明治期のワインの醸造技術が伝わると、出荷にむかない果実などを利用した勧業政策が県庁主導で行われ、ワインの醸造が行われるようになりました。今後世界に向けて発信していきたいオリジナル品種です。