プイィ・フュイッセの先駆者ジャンヌ・フェレ
1840年に創立したドメーヌJ.A.フェレは、フュイッセ村の円形状のクリマの中心にあり、長らくフュイッセを代表するトップドメーヌのひとつとして知られてきました。第二次大戦後、フュイッセ地区において、自家栽培したブドウを自身で瓶詰めした最初のドメーヌであり、テロワールを区分けするというコンセプトをフュイッセ地区に導入し、それぞれの区画のワインを別々に醸造することを始めたワイナリーの先駆けでもあります。やがてテート・ド・クリュ(上級キュヴェ)、オール・クラッセ(最上級キュヴェ)というカテゴリー分けがジャンヌ・フェレによって構築されました。約50年もの間ドメーヌの発展に尽くしたジャンヌ・フェレが亡くなった後、娘のコレットがドメーヌを牽引してきましたが、コレットの没後、2008年にメゾン・ルイ・ジャドはその伝統とワイン哲学とともに、フェレの畑を受け継ぎました。ドメーヌ・フェレの哲学は、「樹齢の高いブドウを使用し、収穫量を抑えることによって、優れた品質のワインを造り続けること」です。
樹齢の高いブドウの樹から優れたワインを紡ぎだす
ドメーヌ・フェレの畑はフュイッセ地区で最良のテロワールにあり、約17haを所有しています。そのうち13haがフュイッセ村にあり、4haはヴェルジソンの岩塊のすぐ側にあります。畑はサステイナブル農法を採用。収穫はすべて手摘みで、収穫時に畑の中で最初の選果を行います。少量生産に徹し、樹齢の高いブドウの樹から優れたワインが造られます。
フェレの哲学を受け継ぐ女性醸造家
今日のドメーヌ・フェレを率いるのは、女性醸造家オドレ・ブラチーニです。
フェレのワイン哲学を受け継ぎ、プイィ・フュイッセのテロワールと自然をそのままワインに反映させた、洗練されたワイン造りを手がけています。