カリフォルニア、サンタ・バーバラにあるシャレーン・ワイナリー。オーナーは、ハリウッド女優のシャレーン・ケイツですが、彼女の父は、タンタラの創設者であるビル・ケイツです。ビル・ケイツはタンタラを退いた後、コンサルティング・ワインメーカーとしてシャレーン・ワイナリーに携わっています。しかし、残念ながら2018年3月にビル・ケイツは、この世を去り、彼の遺志を継いでシャレーン・ワイナリーはタンタラの原点回帰を目指すこととなったのです。中心となるワインは、シングル・ヴィンヤードのピノ・ノワールとシャルドネです。その基準はフランス・ブルゴーニュのグラン・クリュ(特級)にあり、サンタ・バーバラの著名なシングルヴィンヤードのテロワールを最大限反映するワイン造りが行われています。
タンタラからシャレーンへ
タンタラは1997年ビル・ゲイツによってカリフォルニアのセントラルコースト、サンタ・バーバラに設立されたワイナリーです。設立当初から傑出したピノ・ノワールとシャルドネを造り出し、初リリースのピノ・ノワールが全てパーカーポイント90点台半ばの高得点を叩き出し、最上ワインである“エヴリン”に至っては、ほぼ100点満点に近い評価を受けています。その後も、素晴らしい評価を得てきたタンタラですが、数年前にビル・ケイツが、高齢を理由にタンタラから退く事となりました。そして彼が退いた後のタンタラはあるヨーロッパのワイナリーが株主となり運営を続けてきました。ビル・ケイツはタンタラでのワイン造りに関わることは退きましたが、実の娘のシャレーンがオーナーを務めるシャレーン・ワイナリーでのコンサルティング・ワインメーカーは続けていました。そして紆余曲折はありましたが、タンタラのフラッグシップワインである“トンドレ・H・ブロック”と“エヴリン”の権利、すなわちブドウの供給先がシャレーン・ワイナリーに移ることが決定しました。トンドレ・H・ブロックは、ラ・ターシュ・クローンであるピゾーニ・クローン100%で造られる、まさにタンタラを代表するフラッグシップワインです。そして、エヴリンに至っては、世界三大ピノ・ノワールとまで謳われた、タンタラの創設者であるビルの祖母の名を冠したタンタラの最上級ワイン。元々ビルが造り上げた2つの上級ワインが、自身がコンサルティング・ワインメーカーを務めるシャレーン・ワイナリーに移る形になったのです。ビルがタンタラで造り上げた代表的なワインが、自信がコンサルティング・ワインメーカーを務めるワイナリーへ戻ってくることとなりました。まさに 『原点回帰』です。そしてビルと共にタンタラの味わいやスタイルを造り上げ、頑なにその意思を守り続けてきたCOOのアーニー・ヴァンデクリフトを始めとするスタッフ達は、元タンタラを離れ新たなタンタラの歴史をシャレーン・ワイナリーで築き上げていく事を決意したのです。こうして、ブドウの供給、醸造スタッフ、ワインメイク、そしてワインの実質的なラインナップは、タンタラからシャレーンへ引き継がれました。シャレーン・ワイナリーで実質的にワイン造りを行っているのはケヴィン・ローです。ケヴィンは、長年ビル・ゲイツと共にワイン造りを行っており、まさに彼の意思をダイレクトに引き継ぐワインメーカーと言えるでしょう。そして、実はこのケヴィン・ローは、かつてタンタラでワインメーカーを務めたアリキ・ヒルの師匠でもあったのです。残念ながらビル・ゲイツは2018年3月に帰らぬ人となりましたが、彼の遺志はタンタラからシャレーンへと引き継がれたのです。
ピーク・ランチ・ヴィンヤード(Peake Ranch Vineyard)
サンタ・イネズ・ヴァレーの東端に位置するピーク・ランチ・ヴィンヤードは、東西南北4方向に広がる急な斜面にブドウが植えられています。特に南側のブロックは、粘土質と川の石が混ざった土壌で、太平洋からサンタ・イネズ・ヴァレーに流れ込む風の影響を受ける好立地なエリアとなります。
ピーク・ランチ・ヴィンヤードのカレラ・クローンを厳選
手摘みの収穫、手選別、100%除梗、100%フレンチ・オーク熟成(Rousseau Barrels)、内30%の新樽を使用し約16ヶ月熟成。バイオ・ダイナミック農法。シャレーンの技術とカレラのブドウが夢のコラボレーションを実現しました。ブドウはピーク・ランチに植わるディジョン・クローン・カレラを厳選。生産量は年間約85ケース(1020本)と極僅かです。
カレラ(Calera)とは
スペイン語で「石灰岩でできた焼窯」を意味する「カレラ」。その名の通り、焼窯をラベルのモチーフとしたカレラのワインは、「カリフォルニアのロマネ・コンティ」と呼ばれています。
カレラのオーナーであるジョシュ・ジェンセン氏は、ブルゴーニュのワインに惹かれ、ワイン造りの修行をするため、フランスのブルゴーニュ地方へ渡ります。そして、最高級のワインとしてあまりにも有名なドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティでブドウの栽培のノウハウを学び、ワインの醸造についてはドメーヌ・デュジャックで修行しました。彼はブルゴーニュの良質なワインが石灰岩の肥沃な土壌から生み出されることを知り、そして1971年、アメリカでロマネ・コンティの味わいのワインを造ろうと一念発起し、帰国の途に就きました。その際、こっそりとロマネ・コンティからブドウの苗木を持ち帰ったと言われていますが、その真偽は定かではありません。
アメリカでロマネ・コンティの味わいのワインを造るという理想を掲げた彼は、カリフォルニアの至るところで土壌テストを繰り返し、石灰岩を豊富に含んだロマネ・コンティのような土地を探し続け、2年もの長い年月を費やし、1974年についにカリフォルニアのセントラル・コーストのガラヴィン山脈に、マウント・ハーランという理想的な土地を見つけ出しました。標高670メートルという標高の高いエリアに位置したこの土地は、海風の影響で冷涼な気候ではあるものの、霧の上に出ているため日照には恵まれ、石灰を豊富に含んだ土壌であるため、ピノ・ノワールに栽培にはうってつけの環境でした。そしてワイン不毛のこの地でゼロからワイン造りを始めたのです。
ワイン造りを始めた1970年代は、カリフォルニアではカベルネ・ソーヴィニヨンの栽培が主流で、良質のピノ・ノワールを造るのは難しいと思われていました。しかしながら、様々な技術を取り入れ、改良を重ね、その常識を覆してしまいます。「グラヴィティ・フロー」を取り入れ、石灰岩の石切り場として使われていた急斜面を利用して、ブドウに負担がかかりにくいワイン造りをいち早く始めました。そして1990年にはその品質の高さが認められ、マウント・ハーランはAVA(米国政府認定ブドウ栽培地域)に認定されたのです。
ニューヨーク・タイムズが企画したブラインドテイスティングでは、ロマネ・コンティ社のリシュブールをはじめとしたブルゴーニュの権威あるワインを次々と打ち破るという快挙を成し遂げました。また、ロバート・パーカー氏も2003年に「カリフォルニアのロマネ・コンティ」というタイトルのもと、「カレラは地球上で最も魅力的なピノ・ノワールのスペシャリストのひとつである。」と語っています。また、世界的なワイン専門誌であるイギリスの『デキャンター』では、カレラが2007年のワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのです。